忌野清志郎さんの闘病メッセージ

忌野清志郎(いまわの きよしろう)さんがNHKの番組SONGUSに出演して、元気な声をきかせてくれました。
番組のスタート曲は名曲「雨上がりの夜空に」。
そして久しぶりで聴く「スローバラード」は彼のパフォーマンスで聴くと胸にジンジンと響きます。
思わず目頭が熱くなりました。

忌野清志郎さんがとても喉頭がんで療養生活をしていたとは思えません。
40年近くにわたりロックを続ける情熱。まさに「キング・オブ・ロック」というべきアーティストです。
忌野清志郎さんは「ベイベィーッ」、「愛しあってるかい?」などの言葉をステージで連発。
一度聴いたら忘れられない独特の振り絞るような歌声で有名。

その忌野清志郎さんも1951年生れの56歳。自転車が大好きで、仕事が都内なら自転車で
出かけるくらいです。

2006年7月13日、自身のホームページにて喉頭癌であることを発表。
以降の公演はすべてキャンセルして療養生活に入りました。
そしてついに忌野清志郎が日本武道館で単独ライブで完全復活を宣言するまでになりました。
ところが7月に左腸骨への癌の転移が認められたことを公式HPで発表。
以後の講演予定をすべてキャンセルして治療に専念することになりました。

忌野清志郎のメッセージにはファンへの熱い思いが込められているようです。
彼は言います。『・・・・ブルースはまだまだ続いているというわけだ。
・・・でもすぐに帰ってくるから応援してくれ。もう一度言おう 夢を忘れずに!』

忌野清志郎さんと坂本龍一が組んだ「い・け・な・いルージュマジック」

忌野清志郎さんは1970年RCサクセッションとしてデビュー。
80年代年RCサクセッションはロックバンドとして一世を風靡します。
奇抜なファッションとメイク。派手なステージファッションで日本のロックショーを創り上げました。

82年イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の坂本龍一と組んでシングル「い・け・な・いルージュマジック」を
リリース。世間をあっと言わせました。

忌野清志郎さんらがブレイクしたきっかけのひとつに、清忌野清志郎のメイクがあります。
今やビジュアル系ロック・バンドという名前ができ、珍しくもない存在となりましたが、あのメイクの
日本における先駆けは忌野清志郎であったと断言できるでしょう。

1989年には、覆面バンド、タイマーズを結成。政治やマスコミに対する素朴な怒りをより直接的な
歌詞に込めて歌うパンク・ロック的なアルバム「タイマーズ」のパフォーマンスも物議を呼びました。
「社会に対する憤りをすかさず歌にする」。
この流れには忌野清志郎さんの一貫した主張があったように思います。


忌野清志郎さんと筑紫哲也さんの交流

筑紫哲也さんの悲報に忌野清志郎さんはたいへんショックを受けているようです。
闘病中の忌野清志郎さんが休業以来最初のコメントが筑紫哲也さんへの追悼の言葉になりました。

忌野清志郎さんと筑紫哲也さんの交流は1988年「カヴァーズ」の収録曲「サマータイム・ブルース」の
歌詞が問題になった、東芝EMIとの間のいわゆる「カヴァーズ」の発売中止問題のころから始まったそうです。
社会問題に取り組むという目的は同じでも、それを訴える手段として、忌野清志郎さん歌で訴え、
筑紫哲也さんはニュースメディアとペンで訴えると言うことで二人は意気投合した間柄でした。

がんになったのは忌野清志郎さんが1年早かったので筑紫哲也さんは忌野清志郎さんを「先輩」と
呼んでいたようです。
今年3月2日に京都で行ったライブには筑紫哲也さんは夫人同伴で出席。
さらに一緒に温泉旅行した模様は「NEWS23」でも紹介されました。
忌野清志郎さんは「長い間お疲れさまでした。ゆっくり休んでください」とコメントを出しました。


Copyright © 2008 忌野清志郎ガン再発。ガンバレ清志郎